さぁ、雑踏の中の取材が終わったが、まだ10時前。子供はたぶんまだ寝てない。という ことはまだ帰れないのだ。 仕方ないので、大黒埠頭方面に行こうかと車を走らせる。国道15号線の大黒町入口交差点を 右折し、このままベイブリッジの下に行こうかと思ったが、今日は金曜日だ。いかれた連中が 大勢いる可能性がある。と思ったら、車は産業道路を左折。そのまま川崎方面へ走り出した。 そう、大師橋だ。一直線の産業道路をかっとばし、やっと多摩川まできた。大師橋の手前に 車を停める場所があるかな?と思ったら橋の手前から左側は工事中で、そんな隙間はいっさい なかった。しかたなく、橋を渡ってしまった。橋を渡りきってからUターンして今度は下流側に 停める場所は・・・やはりない。橋を降りて、首都高大師出口と合流してすぐの道を左折。 180度ターンだ。すると住宅街の一角に車を停めるスペースがあったので、そこに停車し、 歩いて土手に上がる。真っ暗だが、時々自転車が大師橋を渡ってくる。 さて、橋の上に出ると、橋名は欄干部に彫ってあった。が、100選の碑は見つからない。 薀蓄の説明板もない。道路をはさんで反対側はというと工事をしていて、歩道はない。 しかも橋上は車の往来が激しく、ちょっと渡ってみるというわけにも行かない。こちら側から じっと目を凝らすが、めぼしいものは見つからなかった。 この大師橋は多摩川の一番河口側に架かる橋・・・というのは正確でなくて、一番河口側は 首都高の大師橋だ。が、人が渡れる橋という意味では、この大師橋が最も河口側に位置する。 大師橋は昭和14年(1939)11月に、 東京・川崎・横浜の京浜工業地帯を結ぶ大動脈の 産業道路に架けられた橋梁である。近年の増加する交通量に対処するためで、現在上り3車線の 架橋工事が進行中。 その昔は羽田の渡しがあり東海道の大事な交通拠点で賑わっところ。徳川家康公も時々、渡しの 堤まで馬を飛ばしてきたという話が残されている。現在は都会の息苦しさに一息入れてくれる 歴史の温もりが漂う多摩川の堤に「羽田の渡し」の文字を刻んだ碑が立っている。ただし、 東京側のようだ。