さぁ、今日はいったいどこまで行くのか! 次は大師橋の一つ上流の六郷橋だ。産業道路から大師前を通って国道15号に出る。 六郷橋はこの国道15号だ。 国道15号を東京方面に曲がるとすぐ橋だ。六郷橋は陸橋が横浜方面にさらに伸びていて、 大師前の道路からくると側道を上がる形になる。橋上に上がる手前、路肩が広くなって おり、そこに停められそうだったがうっかり通過してしまった。仕方なく、またまた、 東京側でUターン。 川崎側に出ても停められそうな場所はないので、またまたUターン。 先ほど通過してしまった側道を上がりきったところに停車。ガードレールを飛び越え、 竣工年月が彫ってある個所を撮影。昭和59年3月完成らしい。そのすぐ脇に人が土手に 降りる階段があり、そこを降りようとしたとたん、3対の目が下からこちらを見上げて いるのに気づいた。おっと、えへへ軍団だ!やばっ。この階段は下りれないぜ。しかし、 上から観察するに、土手上にはめぼしいものは無さそうだった。 橋の延長上にも人が降りる階段があるので、そちらを降りる。橋の下をくぐり今度は 下り車線側に出る。橋に登る手前に小さな広場みたいなものがあり、なにやら碑のような ものがたっている。が、そのすぐ向こう側にもえへおやじが・・・なんだよ、ここは。 えへおやじの巣窟じゃんか。 碑には「明治天皇六郷渡御碑」と書いてある。えへおやじが寄ってくる気配を示したので、 急いで橋に上がる。 欄干の橋名が彫ってある個所を撮影。100選の碑は見つからない。再度、先ほどの碑の ところに降りる。えへおやじは元のポジションに戻っていた。せっかくだから、碑の写真 を撮る。えへおやじが近づいてくる前に退散。 少し離れて振り返ると、そのえへおやじが碑の前で首をひねっていた。なんか変なやつが きて写真を撮っていたので興味を示したらしい。 六郷橋は、江戸時代に徳川家康が架けた橋でしたが、洪水で流されてしまい、その後200年間 は渡し舟の時代が続いていた。明治元年(1868年)に、明治天皇が初めて江戸城に入るために、 船の上に板を並べて渡った事を記念した「船渡しの碑」がある。これが先ほどの碑のようだ。 再び、明治7年(1874年)に「左内橋」の名で橋が架けられ、昭和59年(1984年)に現在の六郷橋 に掛け替えられた。 再度橋をくぐって上り車線側を登ろうとしたとき、街角に小さな碑のようなものを見つけた。 見ると旧東海道と書いてある。へぇ、これが旧東海道なのか。一応写真をぱちり。 そして急いで車へ戻る。さっきのえへへ軍団がいたずらしてないことを祈りながら。車は無事 であった。しかし、橋を登ってしまっているのでまたまた東京側でUターンし、川崎側に戻って きた。そして、そのまま家路についた。長い一日だったぜ。