今朝はいろいろと野暮用があった。子供を保育園に預けた後、車のフロントガラス交換の ため、まずはスバルディーラに。その後、かあちゃん用の車の車庫証明用に駐車場の使用 承諾証明書なるものを取りに不動産屋にいった。終わったのがもう10時半過ぎ。このまま 会社に行っても昼前だ。途中で食事するにも少し時間が中途半端。ということで予てから 気になっていた川崎扇町の新大扇橋の下見に行くことにした。 この橋、実はNKKの敷地内にあり、外部から見学できるのかどうか不明であったのだ。 川崎の環境汚染で悪名高い産業道路を浜町の交差点で川崎港方面に曲がる。こんなところ NKKに用のある車以外通らないからさぞかし車は少ない・・・というのは大間違いで、 トラックやらライトバンやら仕事車でごった返していた。そんな車たちに混じり、その道 を扇町方面へ走らせる。浅野運河を渡るときに東のほうに新大扇橋が見えるかもと思い、 チェック!なんか橋が見えた。あれがそうなのか?ここからではよくわからない。その橋 は大きな船が通るときに橋があがって航路を確保するという構造になっているのだが、 あがってなければただの橋。遠方からでは識別できない。そのままNKKの門の前まできた が、やはり守衛がいて、関係者以外立ち入り禁止となっていた。 NKKの前を通過し、しばらく後Uターン。今度は橋の北のほうから攻めてみる。 浅野運河を渡り返し、少し先を右折。細い道に入り、そのまま東進。しばらく行くと、橋 (と思われる場所)の少し北側に出る。そこから橋方面に行く道は、一般道でないことの証明 のように小さな段差を超えていく。その少し先にはやはり守衛がいて、関係者以外立ち入り 禁止だ。わてはその少し手前に車を停め、橋が見えないかどうかカメラを持って、守衛小屋 に近づいていった。わてが近づくとともに守衛が小屋から出てきてこちらの様子を伺っている。 わても直接そちらに行こうか、少しまわりこんでみようか迷ったが、ここは単刀直入に守衛 に声をかけることにした。 「ここら辺に新大扇橋っていうのがあると思うんですが」というと、守衛は「あぁそれなら この中だよ。だけどここから先は許可証を持ってないと入れないよ。俺が怒られちゃうから」 とけっこうきさくな感じだ。 しかし、やはりその橋はNKKの敷地内で簡単には入れてもらえないようだ。その守衛によると、 許可証は正門で発行している。ここでは発行してないから、ここから入れるわけにはいかない。 だから正門に回ってくれという。おまけに正門への行き方をお丁寧に教えてくれた。しかも2回 繰る返しやがった。そんなの繰り返さなくてもわかるよ。 もう時刻は11時45分。これから正門に行って、仮に許可証を出してくれたとしても、橋の取材 をしてると昼休みまでに会社にいけなくなりそうだ。とりあえず、アプローチの仕方はわかった ので、今日は引き上げてラーメンを食べに行こう。 浅田から首都高に乗り、狩場まで行く。そこから少し北上し、保土ヶ谷BPから環状2号に出て、 ラーメン屋へ直行!この先は環状2号ラーメン屋シリーズ第5弾へ。 ・ ・ 今日はマンションの火災報知器の点検があった。その時間を朝一番(9時半)に設定したもらい、 終わってから会社へ。しかし、このまま会社に行くわけにはいかない。願ってもないチャンス だからだ!かながわの橋100選の最後の一つ、新大扇橋はJFEの敷地内にある。したがって夜に いっても入れてもらえない可能性が大きい。今日がチャンスだ。 家から、直接JFEのある川崎の扇町に向かう。首都高横羽線の下を通る産業道路から浜町の 交差点で海側に曲がる。そのままいくと、一つ跨線橋を渡り、その直後扇橋を渡る。この橋の ところから東側の運河の向こうに新大扇橋が見える。 そのまま通過すると、踏み切りがあるが、その手前にJFEの正門がある。以前より新大扇橋に 近い裏門を訪ねたが、そのとき守衛が言うには、正門に行けばきっと許可証が発行してもらえる ということだった。 正門の横の道に車を止め、カメラを持って歩いて正門に行く。今日はいつものカメラは妻が 持っていってしまったので、古い大きめのやつだ。そんなカメラを片手に正門に近づいていくと、 守衛が怪訝そうな顔をしながら近寄ってきた。守衛は2人いるが、ここは大きなトラックがひっきり なしに出入りしており、守衛も忙しそうだ。しかし、不審な人物が近づいてきては放っておけない のだろう。 守衛の一人と私は対峙した。守衛が口を開く。「何か御用でしょうか?」口調は丁寧だが、その 語気は、怪しい奴は一歩たりとも入れないぞという気迫さえ感じられる。その守衛は若いお兄ちゃん で、目は大きめだ。見た目強そうではないが、正義感が非常に強い雰囲気が感じられる。 「お仕事中申し訳ありません。こちらに新大扇橋というのがあると思いますが」「えぇ、あります。」 「見学させてはいただけないでしょうか?」「そのような許可はこちらでは出せませんので、 JFEの総務に言ってもらえないでしょうか?」「総務?」「はい、総務です」 これ以上何を言ってもだめなもんはだめだ、という雰囲気が漂っている。 しかたなく、ここは退散だ。所詮守衛の兄ちゃんにいってもどうにもならん。やはり正攻法でいくか、 忍び込むかのどちらかしか中に入る手はないようだ。 わては車に戻った。停めてある道をしばらく進んで適当にUターンしようとしたが、その先は別の 会社の敷地になっていた。そこには「テロ警戒中」という看板が出ていた。おぉ、長いは無用だな。 下手にうろちょろしてると通報されかねない。 門の手前でUターンし、扇橋のところまで戻った。歩道に車を乗り上げ、そこから歩いて、新大扇橋 が見えるところまで行き、ここから写真撮影。Ummmmmやはり遠いなぁ。 跨線橋まで行くともっと違う角度から見えるかもと思い、そちらに歩き出す。途中自転車に乗った デヘヘおやじとすれ違う。しかし、デヘヘおやじのにおいよりも強烈なまったく異質なにおいが 鼻をついた。ぐぉ!なんじゃこのにおいは?金属のようなすっぱいような変なにおいだ。こんな ところにいたら絶対体がおかしくなるな。ここは人間がいるところじゃない。 跨線橋の上からは橋は見えなかった。急いで車に戻る。息を止めながら先ほどの場所を通過。 車に乗り込み、会社へ向かった。 ちなみに薀蓄。 読み方を書いてなかったね。「しんたいせんきょう」と読むらしい。以下NKKのホームページより。 名前の由来は、弊社の構内にある大島地区と扇町地区を結ぶ橋で、両方の頭文字をとって名付け ています。橋梁は昭和14年、今から63年ほど前に第1機目を作り、元々は溶高炉から出たドロドロ に溶けた鉄を取鍋に入れて、それを鉄道貨車に乗せて軌道で運ぶという、軌道用の鉄橋として 最初に橋が掛けられました。それ以降、車両の大型化やトラック輸送化などの変遷に対応する ために、これまでに3回ほど改造・改修が実施されてきました。 第1回目の改修は、今から43年前の1959年に溶銑の鍋を大型化するということで、当然、重量物 を扱うことになるため、大容量化・荷重増加の対応がとり行われました。次に、第2回目に 今から30年前、1972年に溶高炉が扇島の方へ工場内でシフトが始まり、溶銑を軌道で運ぶことが 不要になったことから、軌道の廃止と道路橋への改修を行いました。第3回目に今から18年前、 1984年に陸送の35tトレーラーを60tトレーラー化するために、やはり荷重増加の対応を行い、 新大扇橋に名前を変更しました。 この新大扇橋は、浅野運河の入口に位置しており、弊社構内の幹線道路と浅野運河の船舶の航行 を確保するという2つの目的を同時に満足するということで「跳ね橋」が構想されたものです。 全国で20橋ぐらいあるらしいのですが、おそらく10橋前後はきちんと跳ね上がるだろうという ものの中の1つが、京浜製鉄所の構内にある。 なんだかすっきりしない100個目だったが、これでかながわの橋100選をとりあえず全制覇した。 ということにしておこう・・・